07

誰ひとりとして同じように世界を見ていないんだ

あかし

フリーランス

タイトル 翻訳夜話
著者 村上春樹 / 柴田元幸
小説家の村上春樹さんと、アメリカ文学研究者の柴田元幸さんによる、「翻訳」にまつわる対談集。また、カーヴァーとオースターの短編を、それぞれが翻訳するという「競訳」も掲載されている。

去年、ニューヨークに行く予定がある、と言ったら、先輩が「SMOKE」という映画を見るといいよ、と教えてくれた。その先輩のオススメすることには全幅の信頼を置いていたので、私はその日、すぐさまレンタルをして映画を観た。それはブルックリンの街角にある、とあるたばこ屋が舞台の映画で、店主とその周りの人々の人間関係を映し出すヒューマンドラマだった。

脚本や映像、俳優たちの演技まで、そのすべての繊細さにたいそう感動し、映画が終わったあとにエンドロールを眺めていると、脚本に「ポール・オースター」とあって驚いた。オースターの小説はよく読んでいて好きだったけれど、まさか脚本を書いていただなんて。

調べてみると、オースターが書いた「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」という短編に魅了されたウェインワン監督と井関惺プロデューサーが、それを原作に、制作に踏み切ったのだという。

大好きな映画になったsmokeの原作だという「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」を、私は俄然読みたくなった。そしてさらに調べると、村上春樹さんと柴田元幸さん共著の「翻訳夜話」という書籍に、その短編が掲載されているというではないか。しかも、それぞれがオリジナルで翻訳をしているのだ。

読みたかった小説を、ふたとおりの翻訳で味わうことができる。こんな贅沢なことはないと思った。原作は同じ内容であるはずなのに、やはり誰が翻訳するかによって、その小説が持つ温度や香りは変わっていく。私は村上春樹さんの訳がやっぱり好きだったけれど、きっと柴田さんの翻訳が好きな方だっていると思う。

翻訳はやはりおもしろい。同じ言葉に対する解釈や感じ方は人それぞれで、言葉は不確かであり、誰ひとりとして同じように世界を見ていないんだということをあらためて感じるきっかけになる。そしてその視点は、何かと「正解」が、あるひとつのものとして語られがちなこの現代において、とても大事なものなのではないかな、と思った。

想像力を養ってくれるこの一冊は、家で過ごす時間が多いこのコロナ禍にぴったりだと思う。

Back to list

特集バナー 特集バナー